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信頼される指導者になる方法 リーダー・教育者が持つべき考え方

指導法

どうも佐々木(@kateikyo_megumi)です。

先日、本を読んだらこんな一説がありました。

「人のために何かをするのは難しいことです。一番簡単なのは、あなたが子どもの頃にしてほしかったことをすることです。」

なんだかこの言葉がストンと心に落ちたのですよね。

なぜなら、私の指導方針は、「自分が生徒だったら、こんな先生に教わりたい」、そんな先生ををとことん追求することだからです。

指導とか教えることには、答えがありません。だから自分で模範解答をつくらないといけないのですね。

講師のアルバイトを始めたばかりのころ、どんなふうに指導すればいいのか、まったく分からなかった私は、自分の中で、なりたい講師像をつくりました。

今でも、基準は「自分が教わりたい講師かどうか」です。

書きながら考えたのですが、「自分が教わりたい先生像」って、人によって多少の差はあれども、大きく違うことはないのだと思うのです。例えば、Aさんにとって教わりたい先生は、Bさんにとっても悪い先生ではないのと思うのですよね。

だから、指導者としてレベルを上げるためには、自分が教わりたかった教師像を徹底的に追求してみればいいのだと。

そうすれば、信頼を勝ち取ることもできるのでは、考えたのです。そこで、私が教わりたかった教師像と、心がけていることを書いてみます。

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生徒をきちんと見る

学生時代、私はおとなしい方でした。

きっと先生方は「手の掛からない生徒」と認識していたと思います。

でも、実を言うと、それが寂しくもありました。

穿った見方かもしれませんが、問題を起こす子たちは先生からかわいがられているなあ、先生もそういう子たちをかわいいと思っているなあと、そんな感じがしてうらやましくなったことがあったのです。

小学生の頃、いつもテストで30点を取る子が、50点を取ったとき、先生が「よく頑張ったな!」と声をかけているのを見ました。

私は100点でした。でも、いつも何も言われなかった。

100点を取るために、それなりに勉強もしてきた。でも、50点の方ががんばってるよねって言われたような気がして悔しかったんです。

90点に下がったとき、答案に「もっとがんばりましょう」と書かれていました。

「あなたが100点を取るのは当たり前のこと。」そういわれた気がして、小学生の私は泣きました。

悔しくて親に抗議したら、親が家庭訪問で先生にそれを言ってしまってやめてくれ〜と思いましたけど。。

問題を起こさない(起こせない)自分のことも、見てほしかったのでしょうね。

 

良いことをしたらほめる

別に、ほめられたくて勉強していたわけでは、ないです。

いいえ、違います。違います・・・・そんなこと、ないです。

 

 

 

 

 

ごめんなさい。

正直、ほめられたかったです。

 

 

たまにでもいいから。

30点が50点も、もちろんすばらしい。

でも、いつも100点を維持するもの・・・結構大変。

当たり前なんて言わずに、ほめてくださいよ・・・。

 

中2の時、英語で臨時の先生が来たんです。1年で離任することになったとき、先生に手紙を書きなさいと言われまして。その先生と家が近いのか、帰り道で偶然会って一緒に帰ったことが1回だけありました。

私はその先生のことを好意的にみていたけれど、いかんせんガリ勉地味女子だから、手紙なんて言われてもうまいことを書けないし、たぶん私の印象も薄いだろうなあ、、ということで

「地味な私ですが、忘れないでいていただけたら嬉しいです」

とだけ書いたのですね。

そうしたら先生からお返事が来たんですよ。

「地味?テストの得点ではいつも目立っていたよ。よく勉強していたよね。一緒に帰ったことも忘れないよ」

実は私、その先生に教わるようになってから英語が得意になって、ずっと90点台を維持するようになっていたんです。

その先生の英語の発音がすごくきれいで、うっとりしながら聞いていたので、覚えるのもめちゃくちゃ早くなりました。

ああ、この先生は、ちゃんと見てくれていたんだなと。

ええ、泣きましたよ。あの先生、今頃何してるかな~。

 

良いところを認めてくれる

中学生時代、百人一首をすべて暗記したのです。

理由はすごくくだらないのです。
冬休みの宿題で5首でいいのに、全部覚えるものだと勘違いしていたから。

でも、やり出したら楽しくて仕方がなかったのです。

五・七・五・七・七の独特のリズムが美しかったし、百人一首って、恋愛に関するものが多かったので、恋に恋する中学生時代の私は、なんだかキュンキュンして楽しくなっちゃったのですよね。

全部覚えたことを友達に話したらこう言われました

「え、気持ち悪っ」

、、、うるさい。どうせガリ勉ですよ。

そんなちょっとズレた?こじらせた?中学生だったわけですが。国語の先生だけは分かってくれました。

そりゃそうですよね。

あのときはありがたかった。

生徒のために叱ってくれる

高校受験が近くなった頃、私は受験校を決められずにずっと悩んでいました。というのも、第一志望の高校には成績が少し足りていなかったのです・・・

滑り止めも受けるとはいえども、私立に入学する金銭的余裕がなかったので、どうしても公立の学校に入らないといけない。

そんな事情があり、第一志望を諦めろと追い込まれ、決断できずにいたとき。

塾の先生が時間をとって話を聞いてくれたのでした。

「この時間にもクラスメイトたちは勉強している。このままでいいのか」

そう言われ、やってやると決めた。

結局、第一志望は諦めましたが第二志望の公立高校に志願変更し、無事に合格できました。

あのときビシッと言ってもらえてなかったら、間違いなく心が折れていました・・・。

いつまでも味方でいてくれる

その塾の先生とは未だにつながっていて、何かあるたびに相談に乗っていただいています。

先生、いつまでも手の掛かる生徒でごめんなさい。でもまだまだお世話になりたいと思っています。自慢の教え子になれるように、一生懸命がんばります。

 

まとめ

信頼できる講師ってどんな人か。

一言で言い表わせと言われたら、私はこう答えます。自分目線ではなく生徒目線な人。生徒をよく見てくれている人。

私はそんな人に教わりたかったのです。

今日、3年前に高校受験対策をしていた生徒さんから「大学に合格しました」と連絡がありました。

3年経っても覚えていてくれて、わざわざ連絡をしてくれることがすごく嬉しい。ちょっとは、実践できたのかな、と。でも、まだまだ満足いくレベルには到底及んでいませんけれどね。教育は奥が深い。

だから、私は生徒さんのことをよく見て、課題は解消できるようにするけれど、良いところもしっかり認めて伸ばせる講師になりたい。

だから相手をしっかり見る。

指導の立場にあるかたは、ぜひ自分はどんな人に教わりたくて、どんな人についてきたいのか、一度考えてみてください。

そして理想の指導者になりましょう。