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「誰かのため」に働くことの危うさ

「誰かのために」という気持ちは大切。そう誰もが思っているはずです。

しかし、時にそれが誰かに負担を与えて、不快にさせているとしたら、どうでしょうか。

以前、家族から「あなたのために働いている」と言われまして。 なんとも言えない気持ちになりました。

そう言われても、嬉しくありません。 むしろ、「学費やらでお金がかかるもんね、ごめんなさい」と申し訳なく思いました。

その人自身の人生なのだから「自分が好きだから働いている」と言ってほしいし、私がパートナーを選ぶとしたら、そういう男性でしょう。

 

「誰かのために」は、ときに恩着せがましく、責任を転嫁する言葉です。 「あなたのために言ってるのよ」ではなく、 「私はあなたにこうなってほしいと思ってるの」 と言うようにしています。 そうすれば、相手に拒否権が生まれます。 「あなたのために」は、相手にとっては要らないプレゼントの押し付けで、相手が受取拒否をすることを拒んでいます。

 

「私はあなたの役に立つと思ったの」は、相手が「そう、でも私には不要だわ」と言える。 「誰かのために」 でも、「自分のため」でもなければ続きません。

エゴとソウルのバランスを取れ

心理学者のキャロル・ピアソンの「エゴ・ソウル論」が私はすごく好きなんです。

エゴとは自我 ソウルとは利他心。 よく、人生にはエゴとソウルのどちらが大切か、という議論があります。 換言すると、自分のために働くべきなのか、他者のために働くべきなのかという話です。

キャロル・ピアソンによると、これらは二者択一のものではなく、両者のバランスが重要ということです。 エゴはワイングラス、ソウルはワイン。 エゴしかない人は、中身のない「空っぽ」な人に成り下がるでしょう。

私利私欲のために暴利を貪り、社会から追放された経営者の話を見聞きする機会はたくさんあります。 ソウルしかない人は器がないので、その気持ちがいつか溢れてしまいます。

サービス系の人が、患者のため、顧客のため、生徒のためにと努力しすぎて潰れてしまう例も枚挙に暇ありません。 大切なのは、自分はエゴとソウルどちらが大きいのかを知り、少ない方を補っていくことです。 エゴが原動力になっている人は「それは人の役に立っているか?」「どんな風に、どれだけ人の役に立つか?」という視点が必要です。 ソウルが原動力になっている人は「自分はそれでいいのかな?」「きちんと自分をケアしているかな?」を内省する必要があります。

 

だから、「誰かのために」で生きているのはある意味ではすばらしいのですが、その器たるエゴも育てていかなければ、いつかは割れてしまうでしょう。 自己愛だけでも生きていけないし、利他心だけで生きることはできないのです。

「あなたのため」といって相手に押し付けるのが反感を買うのは、ソウルに見せかけたエゴだとバレているからでしょう。 相手を思いやっているように見せかけて、実際は自分の思い通りに動かしたいだけなのです。

理想は、健全なエゴを持ちながら、それを過度にオープンにせず、ソウル的に生きることでしょうね。 エゴは生きていく上で非常に大切ですが、むき出しなのはどうしても嫌われてしまいます。俺さえ良ければそれでいいという考え方は誰からも共感を得られないのは明白です。 自分が楽しくて、誰かの役にも立てて、結果的にまた楽しくなる、というのが理想の状態なのだと思います。

 

 

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