生徒さんにとって「よき友人」というポジションを目指しています。
そんなことを言うと、親御さんからは「うちの子には厳しくしてください」「もっとビシバシやってください」、同業者さんからは「教育者としてのプライドは無いのかよ」と言われそうです。
でも、思うんですよ。
生徒さんの成績を上げるのに、かならずしも「良き先生」でいる必要もないのかな、と。
上から目線は通用しない
中学生くらいになると、もう子どもたちは大人の言うことを聞きません。大人が「ああしなさい、こうしなさい」と言えば言うほど、反発して逆の方向へ進もうとします。これはもう仕方がないのだと思います。
昔は、上下関係が通用しました。
上から「やりなさい」と命令口調でプレッシャーをかけるのが、まかり通っていました。
でも、今は違います。
かつてに比べて、体罰、パワハラや暴力に非常に敏感な社会になりました。これは、上下関係を作って権力で圧制するのとは逆の動きです。
友人の話は聞き入れる
それでも人は、ある人の言うことは、聞きます。誰でしょうか?
友人です。
小学校高学年くらいになると、子どもは親よりお友達と一緒にいたがります。友人の言葉に大きく影響を受けます。
人を動かそうと思ったら、上から目線でのアドバイスでは通じません。
友人として、横から目線で、対等に話をすることが大切だと思います。
対等であること
対等な関係になってはじめて、人はこちらの話に耳を傾けてくれる。
教育者?先生としての威厳?プライド?
どうでもいいです。
生徒さんが、「勉強やってみよっかな」と言う気持ちになるなら。
明日からまた頑張れそうだな、と思えるなら。
心強いと思ってくれるなら。
成績が少しでも上がるなら。
生徒さんたちにとってプラスになるなら。
別に私の尊厳とかプライドとか、どうでもいいですよね。
だから、横から目線で対等に付き合って、相談してもらえる関係を目指す。
一緒に走れる人がいるだけで、どれだけ心が楽になり、励まされるか。
走っている生徒さんを、自分は車に乗って応援する人にはなりたくない。
一緒に走る人でいたいのです。
足、遅いけど。
[amazonjs asin=”4422116347″ locale=”JP” title=”勇気づけの方法 (アドラー心理学を語る4)”]
カテゴリー