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歴史を学ぶ意味

「なんのために歴史や古典を学ぶんですか?なんの役にも立たないじゃないですか」

中高生と話しているとそんなことを言われるんですよ。
まあ無理もないし、気持ちもわかります。他の科目と違って役に立つ感じがしませんもんね。
日本人であれば国語は役に立つし、世界共通言語になりつつある英語はできて損がないことくらい想像がつく。数学と理科は中高生以降になると抽象的になりすぎて具体性を失ってしまうから、「役に立つ」という視点では少々難しいかもしれません。

だけど、歴史や古典は「昔のもの」だから、将来使うはずがない!という理屈は、もっともなように思えます。

でも。私は思うんです。歴史も古典も絶対に学んでおいたほうがいいです。今は確信を持って言えます。

実は私も、「歴史も古典も必要がない」心のどこかで思っていました。大学進学の時に「文学部ってなんのためにあるの?文学学んで将来どうするの?」と割と本気で思っていた人間です。働く時に直接的に役に立つか役に立たないかだけを考えていました。

ありがたいことに今まで5作の書籍を出せていただき、ブログもたくさんの人に読んでいただけるようになったのですが、どこかでうまくいかない感というか、天井にぶつかったような気持ちになることがありました。憧れの作家さんの本を読んでも、私が書いたものと憧れの人が書いたものは全く違う。

作家さんたちにあって私にないものは、教養でした。
書いたものにはその人の知性や品位が直接的に現れます。自分の意見を書くだけでは当然ながら説得性に欠けるわけですから、同じような意見を持つ人の意見を引用したり、根拠となる例を併記しながら進めるわけですが、当然ながら知識が必要ですよね。その内容についての過去の研究だったり、背景を知っているべきです。

「役に立つものだけを学べばいい」そう思っていたら、話を広げることなんてできません。すなわち、面白いもの、含蓄のあるものは書けないから、深みが出ない。どんなに「書き方」を学んだって、それはプレゼントのラッピングの仕方を勉強しているようなもので、文章自体、プレゼントの本体は素敵なものにならない。その文章に知性は現れないんです。

「役に立つもの」だけを学んでいれば、すぐにある程度の成果物を作ることはできるでしょう。でも、平均点程度のものは作れても、高得点のものを制作することにはいつしか限界にぶち当たります。

歴史や古典は「すぐに役に立つ」わけではないですし、それを仕事にできるわけではありませんし、それをツールにして何かができるわけではありません。だからと言って勉強しなくていいかと思ったら、それは違います。

例えるなら基礎体力みたいなものですね。
体力を使ってスポーツ選手になって金メダルを取れるとか成功できるとかそういうことではないけれど、体力があればやりたいことをする時にプラスになりますよね。それと全く同じなんです。歴史や古典への知識は頭の基礎体力みたいなもので、鍛えておけば間違いなく役に立つ。ただ「うわあ体力あるから仕事でめっちゃ役に立った!稼げた!」とはならないんですよ。そこが難しいところ。

だけど、私は生徒さんに成功してほしいし、もっともっと知的になってほしいから、歴史と古典は勉強しておいてほしいと思うんです。すぐに役立つものだけではなく。

確かに、学校の勉強は面白くないし、人物の名前や事件名を覚えるだけの勉強は楽しくないので、学ぶ理由がよくわからないというのは同意します。
でも、だからって歴史と古典を捨てないでほしい。その知識は必ず役に立つ。

かつては「文学なんてなんの役に立つの?」なんて思っていた私ですが、今は文学部で哲学やら歴史やら文学やらを学んでいます。やはり、すぐには役に立たないし、収入に結びつくようなものでは決してないけれど、どれも面白いし、先人の知恵を学ぶのは純粋に楽しいです。きっと人生を豊かにしてくれる実感があります。

歴史や古典は役に立つ。若いうちに気づくのは難しいけれど、できるだけ早く気づいてくれたら嬉しいです。

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