「好きの反対は嫌いではなく、無関心」
誰が言ったかは存じませんが、意味深い言葉だと思います。
好きも嫌いも、関心があるという点においては同じ。ベクトルは真逆だけれど。関心の有無に関して言えば、好きの反対は無関心になる。
自称サバサバ女子の危うさ
こんな記事を見つけました。
「私性格が男なんで」という「自称サバサバ女子」の地雷率 裏にある「女としての過剰な自意識」にウンザリ
この記事を読んでいて、ある女性のことを思い出しました。
「私、サバサバ系で女の集団が苦手なんです〜」「自分おっさんだから女っぽい人苦手です〜」っていう人がいたのですが、その人は男性の前だと媚び媚びで、裏では悪口言う。
あなたこそ典型的な女ですよね?って思ったことがありました。その人に対して強い嫌悪感を抱いたのですが、同時に彼女を見ながら、心の痛さを感じたのも事実です。
私自身はかなり男脳を自称してきましたが、突き詰めてみたら、「女の子っぽい人や物への強い憧れと羨望の裏返し」だと気がついたのでした。その女性に対する嫌悪感も、女性らしさに対する強いこだわりのせい。心の奥底で、女を強く意識してきた結果なのだと思います。女の子っぽくなりたいけれど、なれない自分へのねじれた感情。
今はそんな「女の子っぽいものを愛する自分」を純粋に受け入れて認めてあげようと思っています。
何かをキライとか、苦手だと思うときは、その対象を強く意識している。強く意識しすぎて、感情を捻じ曲げてしまっている。
表に出てくる感情なんて氷山の一角で、その裏にあるのはもっと根本的なものだと思っています。
根源にあるのは承認欲求
根源的に、人は承認欲求を求めるもの。社会生活を営む人間である以上、承認欲求があることは当然のこと。問題はその表現方法でしょう。
承認してほしいことを正直に言えればいいのですが、それができる人は稀です。
大概の人は、パートナーや家族から承認を得たいのに、捻じ曲げて伝えてしまいます。
「もういいよ!」なんて言ってみたり、泣いて「あなたはひどい人」と暗に伝えてみたり。
子どもの場合、承認欲求を「勉強しない」とか「体調不良」という形で持ってくることもあります。
体調を崩せば、いつも忙しい親が仕事を休んで看病してくれる。勉強をしなければ、勉強しなさいといい続けてくれる。
そのために、体調を崩したり、勉強を放棄したりする子がいるのです。無意識なので本人は気づいていないところが厄介ですが。
人は自分の行動や感情を理解できません。
行動だけを見ると、問題児にしか見えません。
でも、違うのです。自分の中にある本心を汲み取ることができないまま、行動に写してしまうのです。
これが嫌、これがきらいという感情の裏には、何かしら特別な感情が隠れています。
勉強嫌いは本心ではない?
今まで勉強嫌い、勉強が苦手な人を専門に家庭教師をしてきました。本当に本当に勉強がキライな人、勉強する習慣がない人を支援するときは、まず「カウンセリング」から始めます。いつから勉強が嫌いになったのか。どうして勉強したくないのか。そのあたりをざっくばらんに聴くわけですが、ある一定時間聴くと、不思議な現象が起こるのです。
勉強が嫌い嫌い言っていた人の口から、
「本当はできるようになりたい」という言葉が出るのです。
苦手なら、嫌いなら、「できるようになりたい」という向上心など生まれません。本当に勉強したくないのであれば、それは嫌いでも苦手でもなく、無関心なのです。
「本当の意味で、勉強がキライな子など、いない」
それが私の結論。
大切なのは素直さ
話が逸れました。
行動や感情の裏には、本当の感情が必ずあります。その無意識を見つめると、自分が本当はどうしたいのか、何を求めているのかが、わかります。
その感情に正直に生きてもいいんじゃないかな、と思います。
女性らしさに憧れるなら、「私無理なんで」なんて言わずに、正直になればいい。誰かの目を気にする必要なんてない。自分の人生ですから。
正直になった結果、自分が本当に望む女性らしさを手に入れられるかもしれません。
勉強ができるようになりたいなら、できることから、初めてみたらいい。「やってもできなかった」のはかっこ悪い‥なんて思う必要はない。他人の目より大切なことは、一歩踏み出した自分。そんな自分をほめたらいい。
素直になろう。
自分の気持に正直になろう。
私は相ありたいし、そう思う人を応援したいです。