こんにちは。苦手科目を得意に変えるプロ家庭教師 佐々木(@kateikyo_megumi)です。
今日は生徒さんからこんな嘆きをもらっています。

高1です。物理が大の苦手なので、学校の先生のところに行って教えてもらって、塾でも先生に質問しに行きました。それでわかるようになったので「これで大丈夫だ、よかった!」と思っていざ試験に臨んだら赤点を取りました。やっぱり自分物理っていうか理系向いてないかもです。
教えてもらって「わかった」のに、テストではほとんど解けなかった。
オンライン家庭教師をしていると、このような場面を何度も見てきました。
学校の先生のところへ質問に行き、塾の先生にも教えてもらう。苦手だからこそ、何とか克服しようと行動したわけですよね。
それなのにテストでは思うように点が取れず、「もう物理には向いていない」「自分には才能がないのかも」と落ち込んでしまいます。
でも、ここには多くの人が見落としていることがあります。
それは、「わかる」と「できる」は、まったく別の力だということです。
なぜこんなことが起こるのか?
実は、「わかった!」と感じる瞬間には、大きな落とし穴があります。
人は、わからなかったことが理解できると、とても気持ちがよくなります。モヤモヤしていたものがスッと晴れるような、絡まっていたケーブルがきれいに解けるような、真っ暗な目の前に道が見えるみたいな高揚感があるので、「これでもうできるようになった」「未来は明るいぞ」と思ってしまうんですよね。
同様に、教える側も「よかった!わかってもらえた」ととても気分が良くなり、有能感を感じることになります。つまりここだけを切り取ればWin-winなんですよね。みんないい気分。
でも、その時点で生徒側に身についたのは「説明を理解する力」であって、テストで必要になるのは、「自分一人で問題を解く力」です。この二つは似ているようで、全く別物。
教える→わかる というプロセスは教える側も教わる側も気分がいいので、そこで「よかったね」で終わりがちなんです。
だから、「わかった!」という達成感で勉強を終えてしまうと、テスト本番で初めて自力で解くことになります。
その結果、「授業ではわかったのに解けない」ということが起きてしまうのです。
「わかった」で勉強を終えると何が起こるのか?
授業中は理解できるし、先生の説明を聞いて、「なるほど!」とも思えた。で、そのあと家では問題を解かないでいると、テスト本番で初めて「自分一人で解く」という作業をすることになります。
説明を聞いている時は、先生が考え方を順番に示してくれますし、途中でつまずけばヒントももらえます。
一方、テストでは誰も助けてくれません。問題を読んで、「どの公式を使うのか」「どこから手を付けるのか」をすべて自分で判断しなければなりません。、授業で理解できたことと、一人で問題を解くことの間には、想像以上に大きな差があるのです。
本来であれば、その差を埋めるのが問題演習です。問題を解きながら、「ここは理解したつもりだった」「この公式は覚えていたけれど使い方が分からない」といった課題が見つかります。
そして、その課題を一つずつ修正していくことで、本当に解ける力が身についていきます。
ところが、「わかった!」という達成感で勉強を終えてしまうと、この大切な工程が抜け落ちてしまいます。
その結果、テスト本番が初めての練習になってしまうのです。
スポーツで言えば、ルール説明を聞いただけで試合に出るようなものです。
さすがに、それでは思うような結果を出すことは難しいですよね。
「できる」とは、どんな状態なのでしょうか?
「わかった」と感じることはとても大切です。でも、それだけでは「できる」とは言えません。
例えば数学であれば、「先生が解いている途中式を見て理解できた」これは「説明を理解できた」という状態です。
では、問題用紙だけ渡されて、
- どの公式を使うか自分で判断できるか
- 途中式を自分で書けるか
- ヒントなしで最後まで解けるか
- 少し数字や条件が変わっても対応できるか
ここまでできて初めて、「解けるようになった」と言えます。
つまり、「わかる」と「できる」の間には、想像以上にずっと長い距離があります。
問題演習は、その距離を埋めるためのもの。
私自身も授業では「わかりました!」「いける気がしてきました!」と言われるとうれしいです。でも、本当に安心できるのは、そのあと問題を解いてもらい、「先生、一人でも解けました!」と言ってもらえた瞬間です。そこまでたどり着いて初めて、「この単元は身についたな」と感じます。
数学・物理で特に起こりやすい理由
もちろん、この現象はどの教科でも起こります。
ただ、数学や物理では特に起こりやすいと感じています。
例えば歴史なら、「この人物知ってる」「この出来事聞いたことある」という知識だけでも、選択問題ならある程度点数が取れることがあります。
英単語も、見たことがある単語が増えるだけで読める文章は少しずつ増えていきます。
一方、数学や物理は少し事情が違います。
公式を知っているだけでは解けません。
先生の解説を理解しただけでも解けません。
問題を読んで、
「これはどの公式を使うのだろう」
「最初に何を書けばいいのだろう」
「途中式はこれで合っているかな」
ということを、自分の頭で考えながら手を動かす必要があります。
つまり、知っていることと使えることの差が、他の教科よりも点数に表れやすいのです。
だからこそ、数学や物理では「わかった」で勉強を終えてしまうと、テスト本番で一気につまずいてしまいます。
授業で理解したことを、自分の力で再現できるようになるまで問題を解く。
この工程が、他の教科以上に重要になるのです。
演習は「確認」ではなく「勉強そのもの」
もちろん、この現象はどの教科でも起こります。
ただ、数学や物理では特に起こりやすいと感じています。
例えば歴史なら、「この人物知ってる」「この出来事聞いたことある」という知識だけでも、選択問題ならある程度点数が取れることがあります。
英単語も、見たことがある単語が増えるだけで読める文章は少しずつ増えていきます。
一方、数学や物理は少し事情が違います。公式を知っているだけでは解けないし、先生の解説を理解しただけでも解けません。
問題を読んで、
「これはどの公式を使うのだろう」
「最初に何を書けばいいのだろう」
「途中式はこれで合っているかな」
ということを、自分の頭で考えながら手を動かす必要があります。
つまり、知っていることと使えることの差が、他の教科よりも点数に表れやすいのです。
だからこそ、数学や物理では「わかった」で勉強を終えてしまうと、テスト本番で一気につまずいてしまいます。
授業で理解したことを、自分の力で再現できるようになるまで問題を解く。
この工程が、他の教科以上に重要になるのです。
「不明点を教えてもらう」だけでは点数が伸びない
というわけで、不明点や理解できない内容を教えてもらうだけでは点数は伸びません。それはもはや「準備体操が終わりました」くらいの段階で、試合に出るレベルの練習はまだまだこれからということなんです。
最初に出てきた生徒さんは、「教えてもらうだけ」で終わっていたから、試験で点を取ることができなかったのです。
私自身も、授業では説明するだけで終わらせないようにしています。
まずは一緒に考え方を確認して、そのあと実際に問題を解いてもらい、途中で手が止まれば、「どこで止まったのか」「何が分からなかったのか」を一緒に見つけます。必要であれば、もう一度説明します。
そして、もう一度自分で解いてもらいます。
さらに、それで解けたとしても「数字を変えた類題」を解いてもらったり、「言い回しが変わった問題」を解いてもらい、状況が変わってもできるかどうか確認します。問題によっては「お友達に説明するつもりで、解き方を説明して」と依頼することもあります。
テストでは、授業で見た問題がそのまま出ることはほとんどありません。だからこそ、「考え方」を使えるようになっているかを確認することが大切なのです。
この繰り返しによって、「わかった」が「できた」に変わっていきます。逆に、説明だけ聞いて満足してしまうと、この一番大切な工程が抜け落ちることになるんです。
だから私は、授業で「わかった!」と言ってもらえることもうれしいですが、それ以上に「一人で解けました!」という言葉を大切にしています。
まとめ
「わかった」と感じることは、勉強においてとても大切な瞬間です。わからなかったことが理解できる喜びは、勉強の醍醐味ですし、勉強を続ける大きな原動力になります。それを私も理解しているからこそ、「わかってもらうためにどう説明しようか」「生徒さんの好きなものに例えて理解してもらおう」等、日々研究しています。
ただ、「わかった」はゴールではなく、本当のスタートです。問題を解き、自分の力で考え、間違え、もう一度やり直す。
この過程を経て初めて、「わかった」が「できた」に変わります。そして「できた」は「わかった」とはまた別の達成感があります。これもしっかり味わってもらいたい。
もし「授業ではわかるのに、テストになるとできない」と悩んでいるなら、自分には才能がないと決めつける必要はありません。まずは、理解したあとに十分な問題演習ができていたかを振り返ってみてください。
次に「わかった!」と思えたときは、ぜひそこで勉強を終わらせず、一問だけでも自分の力で解いてみてください。
その一問が、「できた」への第一歩になるはずです。
以上、佐々木(@kateikyo_megumi)でした!
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