今年も全員が志望校への合格を勝ち取りました。皆様、おめでとうございます。嬉しいです。
今日は生徒さんから合格の報告をうけて、なぜか自分の仕事観について聞かれました。なぜ自分のところに来てくれたのかと。思うことがあるのでここに書きます。
私はもともとあまり自分に自信がない方で。しかし、仕事になるとなぜか自信を発揮します。
うーん。ちょっと違う。
仕事になると別人格が出てしまう感じかもしれません。
仕事を請けるか請けないか、最終判断は「使命感」です。
仕事って、まさに自分の時間やエネルギーを投じる、文字通り命を使ういとなみですよね。
だから、「この人のために命を使いたい」と思えるかどうかが最終判断基準です。
以前、家庭教師の掲示板で、たまたま見た公募情報がどうしても気になったことがあり、「使命感に駆られました。私におまかせ下さい」と書いて応募したことがあります。
それで通りました。
送る方も送る方だけれど、通す方も大概だと思います。
その生徒さんは軽度知的障害をもっていました、同時に夢と素晴らしい特技を持っていました。自信は残念ながら持ち合わせていませんでした。
うつむいて、勉強はキライだ、どうせやってもできない気がすると言いました。
直感が降りたんです。「あ、これは私の仕事だ」と。
彼の特技に着目して伸ばしたところ、その後、小学生レベルの学力だった彼は、半年後には第一志望の大学の合格を手に入れていました。
彼は言いました。「受かると思っていました」と。
その顔は自身に満ちていて、人はこんなにも変わるのかと驚いたのは今でも忘れません。
かつては、女子専門にしていたのですが(それをウリにしているわけでもなかったのですが)、彼のように男子生徒指導の依頼も請けています。逆に、女の子だからといって請けないこともあります。
請けるかどうかの基準はひとつ。使命感です。
生徒さんを見て「この子は私が何とかしなければならない」みたいな衝動に駆られることが、たびたびあるのです。
特にその子が、知的障がいや発達障がいをもっているとか、あるいはとても有能なのに極度に自信を失っているとか、勉強ができるようになりたいのに、なかなかできないとか。
自信を失っている人を見ると、どうしても放っておけない。
勉強というたった一つの物差しで自分をはかって、自分はだめだと決めつけて、思い悩まないでほしい。きっとあなたにはもっとたくさんの可能性があるんだから。
勉強は、はっきり言ってやり方次第でどうにかなる部分が大きいし、そこにさらに教わる人次第でどこまででも伸びる。
障がいやら何やらかんやらで失敗体験が多い?それでも大丈夫。
これからはころんだって私がついている。安全マットは敷いたから、安心して転べばいい。
それは間違いなく、私自身がそうだから、でしょう。
彼ら彼女らが変わることで、私も救われているのでしょう。
5期連続合格を手に、私は自信を持って言います。
「私がついているから、大丈夫だよ」