こんにちは。横浜・鎌倉のプロ家庭教師 佐々木恵です。
ノーベル平和賞受賞式でのマララさんのスピーチをニュースで見まして、全文読みました。
とても17歳の女の子とは思えないほど力強い言葉に感動しました。大変素晴らしかったです。
マララさんのスピーチ(日本語訳)はコチラ
マララさんノーベル平和賞受賞演説の全文〈邦訳〉
このスピーチを拝見して感じたことは
学びの重要性と、女性の教育についてです。
■学びの重要性
学びたい、もっと知りたい、もっと向上したいという欲求は、性別にかかわらず、人間の特権であって、誰もが持っているものだということを、マララさんのスピーチで再認識しました。
日本の子どもたちを見ていると、
勉強が嫌い、勉強したくない、勉強はかっこ悪い、勉強はつまらないという感情がどこかにあるように見えます。
しかし、子どもをそんな風にさせているのは
興味を持てるような教育の場を与えていない教育者、
つまり大人の責任ではないでしょうか。
本来、子どもは学ぶことが好きで、自分の成長が嬉しいはずです。
それが嫌いになってしまったのなら、
そこには社会的な問題点が存在するはずです。
学歴社会に受験戦争
学ばなければお先真っ暗という風潮
勉強が出来なければ遅れている、劣っているとレッテルを貼られ
お金と時間を投資して、無理やり勉強させる。
勉強は無理矢理させるものではなく、
「もっと知りたい」「もっと良くなりたい」という知的好奇心や向上心がベースににあるべきだと私は思います。
実際、沢山の子を見てきましたが、
成績が伸びる子と伸びない子の一番の違いは、この感情の有無です。
換言すれば、子どもの知的好奇心や向上心を引き出すことができれば
勉強ができず苦しんでいた子たちも、できるようになるものなのです。
そうやって、生徒さんたちの成績を伸ばしてきました。
私個人にできる力は大きくないかもしれませんが、
そういう教育を少しでも変えていきたい。
■女性の教育について
マララさんは、私の人生に比べたら何倍も苦労され、ときには命さえ危うい状況に置かれていたとのこと。
それでも、女性の教育の必要性を訴え続けました。
もちろん私は、ここまでの経験はしていませんが、女性の教育に対する問題意識は常に持っています。
「女の子なのに」
「女の子らしくない」
「女の子なのにガリ勉なんて」
就職したばかりの際、お付き合いで毎日終電近くに帰宅する私を見て、親戚がこんなことを言いました。
「女の子なんだからそんなに頑張らなくていい」
「女の子なんだからそんなに頑張ったって無駄」
そして、男性が多かったかつての職場では
「女の子はお茶を汲めばいい」
「女性社員は男性社員の結婚相手になるために雇った」
今、家庭教師をしていても
「早く結婚しなさい」
「産めないの?」
と、どこかの地方議会ではないですが、極めて失礼なことを言ってくる人がいます。
そんな言葉にショックを受けたこともありました。
(あ、今ではほとんど気にしていないです)
マララさんの育ったパキスタンとはその規模も意味合いも違うとは思いますが、
日本でも、まだまだ女性が学ぶこと、働くこと、社会貢献すること、自己実現することに対して、歓迎する空気ではないと思うことがあります。
確かに、子どもを産んだり、女性としての機能もとても大切です。
ですが、
女性が勉強して、何が悪いのでしょう?
女性が一生懸命働いて、何が問題なのでしょう?
女の子専門の家庭教師をするようになって、
男の子だけでなく、女の子こそしっかり勉強していく必要性があること、
女性だからこそできることがあることを身を持って学びました。
現在私は女性専門家庭教師として
女子学生を中心に勉強を教えているのですが、
今後はキャリア面での指導や、
起業したい、起業している女性のための支援事業を始めるつもりでいます。
学ぶことは楽しいこと。
女性らしく生きること。
コメント