どうも、佐々木(@kateikyo_megumi)です。
最近、こそこそとこつこつと心理学豆知識の記事をアップしてきました。昨日アップしたのはこんな記事です。
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メサイアコンプレックスについて。
この記事、相当な反響がありまして。アクセス数が普段の2倍に到達しました。
「私のことでしょうか」
「私もそういうところがあります」
「人を助けようという気持ちに是非などない」等、多数のコメントをいただきました。
この記事は、誰かに向けて書いたものではありません。当然ながら、誰かを傷つけ非難するために書いたものでもありません。では、何のために書いたかというと、自分自身のためでした。
自信のなさを埋めるために
このブログではたびたび書いてきましたが、私はもともと自分に自信がありませんでした。今では随分とましになってきてはいますが、まだまだだと思っています。
自信のない私は、誰かを助けたくて仕方がなかったのです。
自信レベルの満点が100だとすれば、私はつねに30くらいしかなく、残りの70を「誰かに必要とされる」ことで埋めようとしていたのです。
言ってしまえば、「私がいないと回らない」状態を作り上げたかった。残りの70を埋めるために。そんなマインドの人が、教育の仕事をしたら、大変なことになります。
仕事はできるだけ人を依存させないように心がけてきたのですが、問題はプライベートの方でした。SNSで「困っている」という旨の投稿を見かけたら、本人に連絡を取ったり、アドバイスしたりしていました。友人や恋人が困っていると、連絡を取って何とか助ける。それはすべて、自分が必要だと言ってほしかったから。
そこに生きる意味を見出したかったのでした。本当に救いたいのは、相手ではなく、私自身だったのです。
歪んだ感情
それが完全に善意ならそれでもいいのでしょうが、私の場合は、誰かから必要とされたいという強い欲求からだったので、正直歪んでいたと思います。
尊敬する女性起業家の方が教えて下さいました。
「満点が100だとして、100未満の状態の人に、人助けなんてできない。120の人が、余った20を人に分け与えることこそ、本当の人助け」
この言葉には頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。
大切なのは自分自身
だから私は、もうやめます。
自分に足りない部分を、人に求めるのは、もうやめます。
人を依存させることで無価値感を癒そうなんて、おかしいのです。
最終的には両方破滅するでしょう。そんなの意味がありません。
自分に足りない部分を埋めて、自信が120まで来た時、心の意味で人助けができるのだと思います。
自分自身を強くします。自分を満たします。
私のためではなく、本当の意味で相手のために、正当に人助けをするために。
それでもなお、友人のために、誰かのために、全力を尽くす人でいたいから。
そのために、自分を強くします。
コンプレックスではない、本物の救世主に私はなりたい。