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無知で人生を棒に振る人たち

勉強法

勉強するかしないかは、自分で決めたらいい

でも。

それでも私の生徒さんたちには、勉強してほしい。学んでほしい。それが私の願い。

 

「教育が高くつくというなら、無知はもっと高くつく」

ベンジャミン・フランクリン

 

これは真実です。

Aという生き方しか知らなかったら、Aとして生きるしかない。

 

きっと、そこまで昔ではない「士農工商」の時代は、Aという生き方しか知らないから、Aとして生きるのが当たり前だっただろうと思う。親がAなら、子もA。何の疑いもない。迷いもない。かえって楽かもしれない。

でも、生き方は決してAだけではない。BだってCだってZだってある。あるいは「あいうえお」的な生き方かもしれない。

それを知る場所が、学校だと思う。そういう場として機能できているかはさておき。

学校に行かなければ、外に出なければ、本を読まなければ、学ばなければ、新しい何かを知ることはできない。

自分の可能性に気付くことだって、できない。

 

隣りに座っている初老の男性は言った。

「一生懸命真面目に働いてきたのに、何も報われない。年金は少ないし、これなら生活保護のほうがマシじゃないのか。あの頃は良かったのに。」

あの頃がいつなのかは、私にはわからないし、別段知りたいとも思わない。ただひとつ言えることは、そういう人生を私は歩みたくないことだ。

勝手な想像だけれど、彼はサラリーマンとしてつとめて忠実に働いてきたのだろう。

自分を殺して。

きっと、彼が積極的に選択した道ではなく、そういうものだと思って選択したのだろう。

「いい学校を卒業して、いい大学に入って、いい会社に入社して、すてきな結婚相手を見つけて、家を建てて、定年まで勤め上げるのが幸せなのだ」

そう信じて、定年まで働いてきたのだろう。

そう信じて、生きてきて。

定年を迎えて、できることは、生活保護になろうか検討することだけ?政府への文句を言うことだけ?

むなしいでしょ。そんなの。

別に、サラリーマンを蔑みたいわけではない。

自分が選択して、自分が選んで、その道に責任を持って、生きてきたという自負があったら、こんな言葉は出ないはずで。

不幸にも、彼はその生き方しか、知らなかったのだろう。

 

他の生き方を知りながら、「自分はこの生き方をしたい」と思えているなら、それでいい。

「この生き方しかないから、こう生きるしかない」のなら、それは悲しいことだ。

 

だから学んでほしい。

選択肢を増やしてほしい。

知識を得ることそれ自体、とても楽しいこと。

その知識が誰かの役に立ったら、もっと楽しくなる。

 

だから学んでほしい。

だから、勉強しよう。いつからだって遅くはない。

やりたいと思うことを、始めてみたらいい。

あなたにはきっと、まだ見ぬ可能性があるはず。

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